司書の本棚

司書が本当にお勧めする本

『成瀬は天下を取りにいく』独自のマインドと地域愛で,天下取り

意志を持った凛々しい顔に,なぜかライオンズのユニホーム。鼻の下をこすっているポーズからすると,恋愛系ではなさそう。そしてタイトル通りなら笑える?・・・。

主人公「成瀬あかり」はそんな想像を全く裏切らず,すべての想像の上を行く。登場時はおそらく14歳くらい。その時点での目標「200歳まで生きる」・・・。

彼女は夢見ているのではなく,目指している。

だからこそ健康管理を怠らず,歯磨き一つでも200歳まで生きるというマインドでやる。「下手な鉄砲も数うちゃ当たる」といった感じで,野望でも目標でもはったりでも,とにかくやりたいことに全力チャレンジしてみる。小さなことから,大きなことまで,全身全霊でトライする。そのうち1個でもできればラッキー,できなかったときは潔くあきらめ次のチャレンジ!

そして,成瀬の地域愛は底なし。地域のために自分ができることをこれほど真剣に考えている(だけでなくもちろん即実行する)少女がいるだろうか?私は見たことがない。

久しぶりに最初から最後まで笑いながらページをめくった。たまにはこんな読書もいい。

これはもしかすると,本当に天下を取ってしまうのでは?、いやぜひ取って!!と思うくらいに面白かった。

これからも「成瀬あかり史」が綴られ続けますように。

 

『東京タワー オカンとボクと,時々,オトン』人は,いつ大人になるのか?

歴代の本屋大賞作品を展示していて,「学生時代に泣きながら読んだな・・・」とめくり始めたが最後,借りて帰って一気読みすることになった。

当時はオカンがとにかくかわいそうで,病気が重くなっていくところがせつなくて泣けてきたのだけれど,自分がオカンになって(そして息子をもって)読んでみると,「ボク」の不器用さと優しさに泣けて泣けて・・・,ぼろぼろになってしまった。

なかでも,何度も読んだP200

 

 東京には,街を歩いていると何度も踏みつけてしまうくらいに,自由が落ちている。

 落ち葉のように,空き缶みたいに,どこにでも転がっている。

 故郷を煩わしく思い,親の監視の目を逃れて,その自由という素晴らしいはずのものを求めてやってくるけれど,あまりにも簡単に見つかる自由のひとつひとつに拍子抜けして,それを弄ぶようになる。

 自らを戒めることのできない者の持つ,程度の低い自由は,思考と感情を麻痺させて,その者を身体ごと道路脇のドブに導く。

若者が故郷を捨て,街に憧れて出ていく。私の町でも毎年のように,子どもたちが都会へと出ていく。どれくらいの子どもたちが,ドブに導かれているだろうかと考えてみた。次から次へと,町を出た子の顔が浮かんだ。この文章の続きにあるように,自由とは不自由の中にある時にこそ価値がある。大いなる自由は,自制心のないものにとってはただのゴミ溜めなのだ。もちろん,作者はそこから這い上がっているわけで,だからこそ,あの佇まいなのだと納得した。

人はいつ,大人になるのか。

「オカンを大切に思えたとき」も,一つの答えになる気がする。

 

『星を編む』物語のその後を知る楽しみ

2023年の本屋大賞受賞作『汝,星のごとく』の続編であり,2024年本屋大賞ノミネート作でもある小説。

表紙から『汝,星のごとく』の続編だと分かる美しい刺繍のデザインされた装丁。

発売されてすぐに借りて読んでいたのに,本屋さんで偶然サイン本に出会い買ってしまう。

内容はというと,続編としては申し分ない。個人的な意見だけれど,続編はがっかりすることもあるけれど,本作は「続編があってよかったな」と思える。

きっと作者としても,一冊のなかに書ききれなかった部分があって続編も含めて一つの作品に仕上げたのだと思う。

『汝,星のごとく』では触れられていない北原先生の過去にまつわる話と,櫂の作品としての「汝,星のごとく」のその後,そして暁美のその後が描かれている。

作者の凪良ゆうさんは,2023年の夏休み明けに学校へ足が向かない子たちへのメッセージ「#しんどい君へ」を出され,その中で自分の過酷な少女時代について触れられていた。そんな彼女だからこそ,これだけ運命に翻弄されながらも強く生きていく主人公を描き切ることができたのだと思う。

逃げだと非難してくる人たちのことは、「ぬるい人生送っていて幸せですね」とばかにしていい。

メッセージの中のこの言葉で,私は過去のもやもやが幾分晴れた気がした。

「運命から逃げるな」などと知った風に言う大人には本当に想像力がないのだ。追い詰められる前に逃げることは立派な選択だし,子どもなら逃げることは頼る人がいなくなること,すなわち命を懸けた決断なのだから。

そして,この作家の作品は「生きることをあきらめないで」というメッセージを同時に伝えている。生きていることが,何よりも大切で,そのためになら逃げても嘘をついてもいい時だってあるのだ。

そんなふうにはっきりと言ってあげられる大人でありたいと思いながら,本を閉じた。

 

 

『リカバリー・カバヒコ』ありふれているから,共感できる物語

今年も本屋大賞の季節がやってきて,読みかけてやめていた本を手にとった。

作者は2021年『お探し物は図書室まで』2022年『赤と青とエスキース』で本屋大賞2位,昨年は『月の立つ林で』で5位と,もはやノミネート常連の方。今回も心打つ連作短編だった。

この作者の本は,いい意味で本当にどこにでもある話を小説に仕立てていると感じる。どこにでもあるから「つまらない」にならず,どこにでもあるから「共感できる」の方にぎりぎり寄せている感じが上手いなと思う。

その感覚は『お探し物は図書室まで』の時よりも,本作の方が強い気がした。

郊外のマンションの近所にある公園の,古びたカバのアニマルライド。自分が悩みを抱えている場所を触ると,治してくれるという噂のあるこのカバは,誰が名付けたか「リカバリー・カバヒコ」と呼ばれている。うわさを聞きつけてやってきた人々の悩みは一つ一つリカバリーされ,最後にカバヒコの秘密につながる物語で締めくくられる。ファンタジックな流れに行きそうなところだが,うまく現実の範囲で解決されるところが良かった。

現実を突きつけるような物語に疲れたとき,コーヒーでものみながら優しい気持ちで読める一冊です。

 

 

 

『続 窓ぎわのトットちゃん』人は失敗することで前に進んで行く

著者はこの本の前書きに

どう考えても『窓ぎわのトットちゃん』よりおもしろいことは書けない,と思っていた。

と,記している。けれど,この本で描かれたトットちゃんのその後の人生も,なかなかユニークだった。笑いと涙,そして失敗(とまでいかなくても,おっちょこちょいなエピソード)に彩られ,ぐいぐいと力強く前に進む彼女の姿に勇気づけられた。

以前にも書いた通り,私を本の虫にするきっかけになった本が『窓ぎわのトットちゃん』だった。その頃の私は失敗すれば「叱られる」か「笑われる」のどちらかだと思っていた。(それしか経験していなかったから。)けれど,失敗しても全然めげないトットちゃんと,決して「叱らない」し「ひやかさない」小林先生が私の心の窓を開いてくれた。

続編の中でも,トットちゃんはトットちゃんのままだ。だから安心して失敗を見ていられる。それは前に進んで行くためだし,人生を豊かにしてくれる失敗だから。そしてそんな彼女だからこそ,優しく見守ってくれる本当の見方に出会うチャンスが巡ってくるのだ。

本を閉じ,願わくは今のトットちゃんを読んでみたいと思った。天真爛漫な彼女にまた会えますように。

 

 

 

 

 

 

『遅いインターネット』五感を使ってゆっくりと思考すること

田舎に住んでいると「移住・定住促進」という言葉をよく耳にする。私自身は論理的に考えて,私の住む町だけが人口を増加させることはできないという意見を持ち続けている。けれどそんな考えはなぜか少数だ。先日,仕事で東京から来られた方がこの話を耳にして,「人口って増えたほうがいいのですか?だとしたらなぜですか?」と問われ,ハッとした。逆説的に考えてみることは何か大きな方針を決めるときには大切なプロセスだけど、忘れていることも多いと痛感した。

今やインターネットを使わない日はない。おそらく使わない人もほとんどいない。誰もがネットニュースを見て,SNSでコミュニケーションを取り,動画で時間をつぶす。そんなこの世界では,インターネットは速いほうが良いに決まっていると思っている。けれどより早く情報が伝わり手軽に世界に触れることができて良くなっているはずの世界に,私が抱く違和感は何だろうかとずっともやもやしていた。それは例えば誰が書いたかわからない根拠の薄い記事を目にすることが増えたことや,そもそも根拠などないフェイクニュースが出回ってること。そしてそれらに寄せられる「いいね」と「誹謗中傷」。たとえ誰が書いたのか分かっていたとしても,日常のように装った美しすぎる一瞬の切り取り。そしてまたそれに寄せられる「いいね」や「誹謗中傷」。まるごとの事実でも真実でもないけれど,多くの人が見たいものを流し続ける人と,せっかくの正しい情報も,見たいところだけを簡単で単純な形に切り取って受け取る人。そして、そんな違和感があっても尚ネットを使うしかない日常に対する更なる違和感。これは「移住促進」と同じで,そもそも本当に必要かどうか考えてみなければ・・・という思いに駆られこの本を手に取った。

本書はタイトルの通り「遅いインターネット」の必要性を説いている。そして私の感じていた違和感の正体にも触れ、インターネットはもっと五感を使ってゆっくりと味わうような使い方をするべきなのだという新しい考えを与えてくれた。自分の見たいものだけを見て,世界に触れていると感じるような使い方ではなく,正しく読み取る受け手としての成熟があってこそ有益なのだと。

結局私はお手軽な人生ではなく,時には理不尽だとしても味わい深い人生を望んでいるのだから,アナログと言われても本をめくり、ゆっくり考える方が性に合っているのかもしれない。

 

 

『自由への手紙』自由になるために捨てるべきものと,捨ててはいけないもの

著者オードリー・タン氏は,新しい時代を生きる台湾の若き指導者。35歳でデジタル担当大臣となり,コロナ禍で数々の思い切った政策を打ち出したカリスマ。

この本では常識という非常識な思い込みから自由になる方法について語っている。性別からも自由になった彼女の独自のアプローチは多くの人にインスピレーションを与え,魂を解き放ってくれると思う。

私がとくに感化されたのは彼女のネットとの付き合い方。最初はだれでも自由に意見を言える場だと思われていたネットの世界だけど,今では行き過ぎた自由がもたらす不自由さを嫌というほど味わっている。そんなふうに感じている人にこの本はある種の示唆を与えてくれると思う。

「AIに仕事を取られるのでは?と心配になったら山に登ろう。」

という答えも,中学生にでも分かる明快な答えで,ソサエティ5.0を生きていく若い人たちにもぜひ読んでほしい一冊だった。

本当の自由を手に入れるためには,知識と美しい魂とが必要で,そのために捨てなければならないものと絶対に捨ててはいけないものがあるのだと教えてくれた。好き勝手に生きることと,自由とは違うのだから。