司書の本棚

司書が本当にお勧めする本

『科学と科学者のはなし』科学者の目で見る世界の姿

この本は明治・大正・昭和にかけて物理学者として活躍した,寺田寅彦のエッセイ集。たまたま手にとって,しおりのページを開くと「藤の実」というタイトルで「昭和7年12月13日の夕方帰宅して・・・」とある。つまり,90年前の今日のことを書いたエッセイだった。

寺田寅彦のエッセイに初めて出会ったのは青空文庫でだった。『団栗』とういうタイトルで若くして亡くなっている1人目の奥さんとの冬の散歩のことを書いていた。理系の作者だけど,景色の切り取り方や言葉の選び方が文学的な人だなと思った。夏目漱石を慕って,俳句の添削をしてもらうため家に通うなどして,親交があったことはずっと後で知った。文学にも造詣が深かったのだと,納得した。

件の「藤の実」は,12月13日に帰宅してみると,障子に何かがぶつかる音が聞こえ,それが藤棚の藤の実がはじけてあたったものだと分かって,科学者として感じたことが書かれている。「藤の実」以外にも,「椿の花が落ちる」のも,「銀杏が散る」のも突然に一斉に始まるので,風のせいや気温のせい以外の何か「生物学的機巧」があるのではないかと考察していく。

作者の視点はまっすぐで,好奇心でいっぱいの少年のような目で世界を見ている。そして目の前で起こることの理由や法則性をいつも考えている。

このエッセイ集の中では,他にも「におい」や「音」「昆虫」「空」なんと「満員電車」にいたるまで身近な自然や生活から出た疑問を丁寧に,誰にでもわかる言葉で説いていく。科学の知識なんてなくても「なるほど」と思える。

なにより,その小さい子に説くような言葉が,父親に物事の成り立ちを優しく教わっているようで,私にとってこれ以上の科学の教科書はきっとないと思っている。

とくに「満員電車」に辟易されている方は,著者の説く「一般乗客の傾向から必然の結果として起こる電車混雑の律動(リズム)に関する科学的あるいは数学的」見解を一読されることをお勧めします。